祖父 庄太郎が製綿業で当社の基礎を創り、父 清次が、その仕事から新しく病院基準寝具や医療食の事業を始めました。商店の時代から会社が現在の業容になるまでの、大奮闘・大躍進の時代にこの建物はありました。脇目もふらずに働く父の姿はもちろん、社員の皆さんの往時の様子は、大きな思い出として心に刻まれています。このたび、150年近くに及ぶ当社の歴史を伝える「原点の場所」としてこの建物を残すことで、多くの皆様に先人の心を感じていただければと存じます。
2018年(平成30年)4月
ワタキューセイモア株式会社
代表取締役社長 村田 清和
この木造建築が本社事務所兼社長宅として建築され、使用されたのは1935年(昭和10年)から1981年(昭和56年)までのことである。同敷地内にある現・本社竣工からは、事務所として使用していない。しかしながら、当社の前身、綿久製綿・綿久寝具創業当時の趣を残す建築として、2016年(平成28年)より耐震改修を開始。このたび、ワタキューグループの事業における過去の資料をまとめた歴史資料館として、建物を残すこととした。当社にとって最大の歴史的資料のひとつと考えた結果である。
建物の外観だけではなく、内部も当時の様子を想起させる空間の一部を保全・復元して、再現した。
土間や天井の燕の巣、カマドなどは当時のまま残している。
土間に入って右側の部屋が本社と近畿支店の事務所であった。土間からよく見える位置に社長のデスクがあり、工場で仕事を終えた社員が声をかけて帰宅していた。
土間の左側が応接室であった。普段は手前の和室だけを接客・商談に使い、全国から支店長が集まる会議や慰労会などの際には、ふすまを開けて奥の間も使用した。
土間の奥に炊事場があった。大きなカマドが並び、残業する社員の夜食づくりや緊急時の炊き出しなどを行った。壁に重ねて貼られているのは、火事の厄除け札である。
1872年(明治5年)の村田久七による製綿業の創業期から綿久製綿までの時代を第一創業期として紹介。
当時の梱包の「綿久わた」や宣伝看板などが歴史を感じさせる。
カマドのある炊事場から小上がりを上がった旧宅の座敷部分を改装した1階北側フロアを「第一創業期」の展示コーナーに。わたの梱包や看板のほか、古い資料を展示している。
1962年(昭和37年)から1991年(平成3年)までとなる綿久寝具の時代を第二創業期として紹介。
病院基準寝具への挑戦やその他の展開などを展示している。
2階に上がってすぐが、綿久寝具時代を紹介する「第二創業期」コーナー。当時のパンフレットや厚生省への陳述書など、病院基準寝具の事業化の興味深い資料を紹介している。
綿久寝具からワタキューセイモアへCI(コーポレート・アイデンティティ)を刷新した1992年(平成4年)から2017年(平成29年)を第三創業期として紹介。
事業の多角化や企業活動など、現在に至る経緯が理解できる。
2階の南側が、ワタキューセイモアの時代を紹介する「第三創業期」コーナー。25年前のCI(コーポレート・アイデンティティ)関連の資料はもちろん、現在までのパンフレットやカタログなどを展示している。
1970年代初頭に設立した日清医療食品、綿久リネン、多彩な事業が集約されたフロンティアをはじめ、メディカル・プラネットや古久根建設を紹介している。
第二創業期から第三創業期への間となる2階の東側コーナーは、グループ会社を紹介。メイン5社の歴史を樹形図的に見せるほか、各社のパンフレットなどを展示している。
病院基準寝具の洗濯・リースから始まった当社の事業を第二創業の側面からは、生産システムの高度化の歴史として第三創業の側面からは、営業展開の歴史として回帰する。
第二創業期コーナーと第三創業期コーナーの仕切りとなる壁を当社の歴史を違う角度から見る特集コーナーとして使用。生産システムの高度化と営業展開の歴史を紹介している。