HISTORY

ワタキューセイモアの歩み

創業から151年。20名だった社員は、現在ではグループ約10万人。
社是「心」を指針に、グループ一丸となって協働し、医療と福祉の明日をサポートしていきます。

誕生

ワタキューグループの歴史は古く、明治5年にさかのぼります。
明治5年10月、製綿業を営む村田製綿所の創業に端を発し、創業151年という私達ワタキューセイモアの歴史が始まりました。そして昭和25年、村田製綿所は綿久製綿株式会社へと社名を変え、現在へと続く成長と飛躍の歴史を刻み始めます。

戦後の混乱のさなか、綿久製綿株式会社を設立したのは村田清次。当時、25歳という若い初代社長の誕生です。資本金は100万円、社員はわずか20名でした。株式会社の本社とはいえ、今も京都本社の敷地に残る木造の建物。工場からは製綿機がうなりをあげ、綿埃が舞う建物でした。しかし清次社長は真心と誠意、そして情熱を持って会社を運営し、地道に基盤を築きます。

昭和26年 特需綿の出荷

昭和26年 特需綿の出荷

転機

大きな転機が昭和37年に訪れます。それが政府による「病院基準寝具制度」という施策です。

「病院基準寝具制度」は入院の際に必要な寝具類の準備や洗濯・消毒を社会保険で完備しようとする制度でしたが、病院にとっては洗濯設備の維持・運営が大きな負担になっていました。この制度の外注が認められる事になった時、日本中の病院に喜ばれる事業であると捉えて大きく方向転換を図った事が、ワタキューセイモアの現在に至る成長のきっかけとなったのです。

昭和40年代 綿久寝具株式会社 集配車両

昭和40年代 綿久寝具株式会社 集配車両

試練・成長

その後綿久寝具は、本社工場が全焼するといった試練も経験します。
しかしどんな困難にも打ち勝ち、寝具リースの全国展開を成功させます。昭和47年には、これまでの製綿や寝具リースとは全く異質の医療食の分野にも進出します。
仕事へのたゆまぬ努力、そして先見性をもった視点と発想により、まだ「医療関連ビジネス」という言葉もない時代に、現在のワタキューグループの基盤が整えられていきました。

昭和47年頃 連続式洗濯機の前で清次社長と社員の皆さん

昭和47年頃
連続式洗濯機の前で清次社長と社員の皆さん

本社工場内

本社工場内

未来へ

平成4年、創業から120年を迎えた綿久寝具は、CI導入により社名を現在のワタキューセイモア株式会社へと変更します。
そして令和5年、ワタキューセイモアは創業151年を迎えました。
わずか20名の社員でのスタートでしたが、現在では、グループ会社が全44社、社員数は約10万名(2023年6月現在)になりました。社是「心」を共通の指針に、医療と福祉の明日をサポートするのがワタキューグループなのです。

昭和47年頃 連続式洗濯機の前で清次社長と社員の皆さん

本社ビル建築前に工場にて
清次社長と工場の皆さん

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生産管理のスペシャリストとして働く
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