村田清次、若干25歳。綿久製綿(株)初代社長へ。
ワタキューセイモア株式会社(旧社名・綿久 寝具株式会社)が医療・福祉関連分野に進出する 以前、綿久は製綿業を本業としていました。 明治5年より続く村田製綿所。それが綿久の前身 であり、創業130年余という私たちの歴史は、 ここに端を発しています。 昭和16年、早くして清次の父・庄太郎が亡くなり、祖父・久七の代から続いた村田 製綿所(屋号を綿久と言った)は母のハルエが支えてきました。昭和19年には長男・ 要太郎が、20年には次男である清次が第二次大戦に出征しました。清次は終戦の年の 8月20日に復員。要太郎も昭和21年に復員しましたが、すでに結核で体を壊しており、 すぐに亡くなってしまいます。昭和20年から25年まで、20代になったばかりの清次は 母を助ける形で家業の商売を覚えていきました。 そして昭和25年。清次は綿久製綿株式会社を設立。若干25歳の初代社長の誕生 です。資本金100万円。従業員はわずか20人でした。株式会社の本社と言っても、 今も京都本社の敷地に残る木造の建物。工場は製綿機がうなりをあげ、綿埃がまう バラックのような建物でした。